何も書かれていない書板

日々の思い出し読書感想文。本や本以外にまつわることをゆるく浅く。

一番最初の記事に何を書いていいか。

このブログのタイトル『何も書かれていない書板』は、哲学用語の『tabula rasa タブララサ』を辞書で引くとこう書かれています。書かれているもののない全く白紙の状態を指す、イギリスの哲学者ジョン・ロックの認識論での用語です。

 

新しいことを始めるには、きっかけが必要ですが、このブログもそのひとつで、実は何を書けばいいのかわからないまま一番最初の記事にこんなことを書いているのですが。

始めるって着手するのって難しく、そして継続するのも大人になって歳を重ねても以上ざとなると存外難しい。特に大人になって就職して、仕事を始めても、要領が悪いのは子どもの時から変わらず、あれこれやらないとって思いつつ、もがき苦しみながら、効率よくするための仕事術的なご本や日々の仕事やら人生やらのスキルアップのためのたくさんの教本に衝動的に救いを求め、読みかけ積読本まみれになったりしているのです。

物事の捉え方は本当に人さまざまで、処理の仕方も対処の方法も100人いたら1000通りあるんじゃないかと、途方に暮れたり気が遠くなったりしながら、日々頭の中ではすったもんだを繰り返しては、寝て起きて動いて過ごしています。

自分の許容範囲を超えたところと見栄っぱりなところと、仕事量と時間を合わせてわーっとかき混ぜると、仕事に計画性のない自分が出来上がって泣きたくなる時は何度あるかわかりません。加えて人にお願いできない体質も客観的に見れていない状況を更に作り出している事もわかっていながら出来ない。

ですが、このままでは、出来ない事をあと回しにしては自分の首を絞めるのは、小学校の時の夏休み最終日を繰り返しているようなものなので、自分で色々考察して試してみようと思います。

これと言って何か当てはまるようなものが無いカテゴリの中で、つらつらと雑文を書いていくこととなりそうですけれど、これが決して歳をとったせいとか、個人の個性だから仕方ないのか、そうでないのか、脳内の思考の流れとともに探っていこうと思います。